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macOS環境構築メモ (2023/10)

3年ぶりの更新。気がつけばシステム環境設定の画面も名前も変わってしまった。

wolfin.hatenablog.com

システム設定

  • サウンド
    • 起動時にサウンドを再生: off
    • 音量を変更するときにフィードバックを再生: on
  • 一般
    • AirDropとHandoff
    • ローカルホスト名: 任意の名前に変更
  • コントロールセンター
    • サウンド: メニューバーに常に表示
    • バッテリー 割合(%)を表示: on
    • Spotlight: メニューバーに非表示
    • 時計
      • スタイル: アナログ
  • デスクトップとDock
    • Dock サイズ: 小
    • Dockを自動的に表示/非表示: on
    • 最近使ったアプリケーションをDockに表示: off
    • デフォルトのWebブラウザ: Google Chrome
  • キーボード
    • キーボードショートカット
      • キーボード
        • 次のウインドウを操作対象にする: ctrl+shift+z
      • 入力ソース
        • 前の入力ソースを選択: off
        • 入力メニューの次のソースを選択: off
      • スクリーンショット
        • すべてoff (Cleanshot Xのため)
      • 修飾キー
        • Caps Lockキー: アクション無し
  • トラックパッド
    • ポイントとクリック
      • 調べる&データ検出: off
    • その他のジェスチャ
      • ページ間をスワイプ: 3本指でスワイプ
      • 通知センター: off
      • アプリケーションExpose: 4本指で下にスワイプ

Finder

  • 一般
    • デスクトップに表示する項目: すべてoff
    • 新規Finderウインドウで次を表示: $HOME
    • フォルダを新規ウインドウではなくタブで開く: off
    • サイドバー
      • $HOME: on
      • 最近の項目: off
    • 詳細
      • すべてのファイルの拡張子を表示: on
      • 拡張子を変更する前に警告を表示: off
      • 検索実行時: 現在のフォルダ内を検索

Dock

  • 起動していないアプリをすべてDockから削除

Applications

  • Karabiner-Elements
    • right_shift -> escape

zsh

  • .zsh_historyの移植

Sonoma

  • 入力インジケーターの削除
sudo defaults write /Library/Preferences/FeatureFlags/Domain/UIKit.plist redesigned_text_cursor -dict-add Enabled -bool NO

個人でも何か出来たあの頃のNLP

自分はNLPのどんな部分が好きだったんだろうと最近ふと思うことがある。こんなことを書くと懐古厨や老人だと思われるかも知れないが、最近のLLMの急速な発展を横目に、before-LLMのあの頃の自分を振り返ることがたまにある。

あの頃は、LLMのような単一のモデルであらゆるタスクが解けることはなくて、翻訳なら翻訳、固有表現抽出なら固有表現抽出のモデル構造があり、それ専用にデータを収集し整備していた。モデル構造の複雑さはあまりなく基本的にはデータが全てであり、その元をたどれば機械学習のタスク設計のユニークさとそれを解くだけの専用のデータ量が鍵であった。だから、アカデミックで日々競われる王道のタスクやベンチマークが存在する一方、企業の中で独自に必要とされるタスクや、個人で利用するような用途の限られたモデルも作れる幅があった。機械学習モデルをサクッと作れるパッケージは存在したが、データ収集や前処理などある種の専門性が必要な時代でもあり、まだまだ民主化がされていない中で、こうしたニッチなタスクに対して個人が取り組む余地と面白みが存在していた。

また、法律や医療といったドメインごとにも、専門用語の辞書が作られテキストにもユニークな特性を持ったコーパスが存在し、独立したタスク設計やコミュニティが存在していた。タスクは同じでもドメインが異なれば考えるべきテキストの属性やモデル構造が異なり、別のドメインの手法をまた別のドメインに適用してみるみたいな横展開もしやすく、また辞書整備やデータ収取なども対象が全く異なることから、個人が活躍できる隙も大きく残されていた。

つまるところ、自分のような弱小研究者もどきエンジニアでもなにか出来る余地があったのが、面白さに繋がっていたのかなと思う。個人的なOSS活動で日曜大工的にちょっと面白いものが作れたり、他の人に便利なツールやデータを使ってもらえるような貢献が自分にもできる。そうした部分がLLMというすべてを包含するモデルで一発でできてしまう今、個人開発者が入り込む隙が全くなくなってしまったなぁと感じる。実際はおそらくそんなことはなくて発想次第だとは思うけれども、まだそれを自分は見つけられていない。

自分の感情を客観視して損得を判断できるようになってきた

最近自分の感情を客観視して、その感情の損得を判断できるようになってきた。

例えば、外を出歩いていて道で他人にぶつかられて、相手は通り去ったとする。その瞬間は「うわっ」とか「何だあいつ」と思うんだけれども、次の瞬間には「自分はさっきの出来事で嫌な気持ちになっているが、嫌な気持ちになることで自分は何か得するのだろうか、嬉しいことがあるんだろうか」と考えるようになった。そして「嫌な気持ちになっても相手に仕返しができるわけでもなければ自分にプラスになる学びもない。今頃相手は自分のことなんて1mmも考えていないだろうし、そんな相手に自分だけ嫌な気持ちを引きずるのは損である」という結論に行き着き、別の楽しいこと/意義あることを考えるように努め始める。

大事なポイントとしては、とっさの感情自体が起こることはどうしようもないので、怒らないようにするとか感情自体をコントロールするということはしない。そして、出てきた感情が自分に与える影響を考えて、論理的にその感情を上書きする。

これはいわゆる「メタ認知」というものだろうか。専門ではないので単語の使い方があっているかはわからないが、そういうものが30半ばにしてようやく自覚的になってきた気がする。まあ、そんな言葉を使わなくても、自分の機嫌は自分で取るというよく言われる話でもある。

旅に行けない

今年の5月で有効期限が切れるマイルが50,000ptくらいある。特典航空券に使って旅行に行こうかと思い、旅行先を探したり席に空きのない予約システムとにらめっこしたが、これというものがない。ポイントに交換して生活の足しにしようかとも思ったが、2万pt以上は還元率が半減になるということで、全部をポイント交換に使い切るには分が悪い。そうこうしているうちに有効期限の月が近づいてきた。

昔は旅行が好きだった。一人でベルギー/フランスに行ったりしたし、友達と台湾に何度も足を運んだ。知らない世界で見たこと無い景色を見たり、あれこれ試行錯誤して目的を達成しようとする行為が楽しく思えた。カメラが趣味なこともあって、日本にはない景色を撮ろうと題材を探す旅でもあった。海外でなくとも国内旅行もそれ相応の楽しさがあり、ビジネスホテルを拠点とするワクワク感や、美味しいご飯を巡るといったように、目的には事欠かなかった。そもそも空港に行ってラウンジで休憩し、飛行機に乗る、それ自体が旅のメインと言ってもいいというくらいには空の旅に非日常感を感じていた。

それが最近では、旅行に対して全く興味を失ってしまった。老い……という結論を出す前にあれこれ考えると、やはり生活の変化が大きい。犬を飼ってからというもの、犬から離れることにいろんな精神的負荷がかかるようになった。犬と一緒に遊んだり散歩に行けない、またはペットホテルで一匹にさせてしまうといったような、愛着からくる負い目のようなものが襲いかかる。1日中ずっと一緒に居たいわけではないのだ。1日のうち朝方と夕方だけきっちり義務をこなせば、あとは家で静かに寝ていてくれるいい子だ。あとは、体を動かす習慣をつけようと始めたジムも、今ではストレス発散と健康維持のために毎日のように行くようになり、行かないと行かないで手持ち無沙汰感が生まれる。先月の出張では、わざわざスポーツウェアとルームシューズを持っていってホテルのジムに体を動かしに行った。観光地くんだりまで来てこんなの誰が使うんだと思っていたホテルの片隅に置かれているジムは、今では有るだけでありがたい存在となった。そして結婚というのも当然あり、20代の無計画さや無鉄砲さはもう無理なのだと思い知らされる。

最近VlogTikTokではきらびやかな旅動画が流れてくる。旅というのはこういうのでは無いのだよと半分ケチを付けながらも、自分が旅に何を求めているのか全くわからなくなってしまった。行きたいお店に行けばそれだけでいいのか?見たい景色を見てその先に何があるのか?旅の苦労は自分を変えてくれるのか?そんなことを思いながら、日常が淡々と過ぎていく幸せに勝るものは無いと思ってしまう。

いつか伊集院光がTVやラジオで「旅の計画を綿密に設計した上で、それが思いもしない出来事で破綻する瞬間がたまらなく好き」ということを言っていたが、今はその気持ちが十分にわかる。予想できる未来は予想の範囲を超えない、予想できないものにこそ新しい発見があるが、その予想できないものを意図的に作り出すのは難しい。そりゃ旅行にいけば一つや二つは予想外のことが起きたりするが、それをハプニングとして楽しめるか、思った通りに行かない障壁と捉えるか、旅行者の意識に依るところが大きい。ある程度予想できるだけの経験値を得た今だからこそ、旅が上手く行かない、すなわち旅の目的としているものが達成できないことが、ただただ怖いだけなのかもしれない。凝り固まった頭をほぐして新しい世界に飛び込むには、どうすればいいのだろう。意図的に日常の破綻を起こす方法が、今の自分には必要なのかもしれない。

さて、マイルは何に使おうか。

男一人がスイーツをどこで食べるか

最近スイーツを食べるのにハマっているのだけれども、男一人がどこでスイーツを食べるかという問題にぶち当たっている。

そもそもスイーツの主要業態としてテイクアウトとイートインの2種類が存在する。小規模な店舗やデパ地下などはテイクアウトで持ち帰りのみを提供しており、イートインがある店舗はその場で食べられるスペースであったりカフェを併設している。

まずテイクアウトから考えよう。テイクアウトするということは、どこかに持ち運んで食べなければいけない。スイーツという特性上、なるべく室内でかつ落ち着いた雰囲気、そして紅茶なども飲めれば尚良い。そうすると必然的に、自宅に持ち帰るという選択肢が最有力となる。お店が近所であれば良いのだけれども、家から30分以上かかる場所にあると、往復1時間でケーキ1個を持って帰ってきて10分で食べきるのか……という気持ちになる。そこで最近では会社のオフィスでケーキを食べる術を身に着けたが、拠点が一つ増えただけで根本的な問題として東京23区をカバーできるほどではない。なんとかして現地近くで食べて、あわよくば1件だけではなく2件ほど回りたいとなると、途端に選択肢が限られてしまう。そう、代々木上原と自由が丘、激戦区のお前らのことだ。プライベートな空間という発想を膨らませて、ホテルを借りて食べるとか、車を借りてその中で食べるとかを考えたが、コストがかかりすぎる。スイーツのUber Eatsが欲しい(が、運ばれてくる頃にはぐちゃぐちゃになってそうだ)。

あとはイートインだが、これは男一人がイートインでケーキを貪り食う様子を思い浮かべればだいぶ厳しいというのがすぐに理解できる。自分は一人なんちゃらに耐性があるほうで、映画館でも焼き肉でも一人は気にならないが、小規模店舗で周りが女性客の中で一人というのは流石にキツい。百歩譲ってテラス席ならワンチャン可能そうだけど、今の季節に外でスイーツ食べるのは環境的に厳しすぎる。人を誘えばいいじゃないかという当たり前の指摘はそのとおりだが、独り身で思い立ったときにスイーツを食べ歩く身軽さと比較すると、人を誘って日次を合わせて自分も生活リズムを調整して行くというのは相当労力が必要になる。よってイートインは選択肢から外すことが多い。

あぁ、悩ましい。